篤農青年は叫ぶ より 昭和十一年   北海道農会

土に親しみて

          赤井川村  瀧本政夫 (二八歳) 

世のあらゆる生物は、総て土に生まれ土に生きて再び土に返る、繰り返し繰り返されつ限りなき自然の決まりであります。去れば土無くして生物は一日の生命を全うするを得ぬと思います。まして我々人類は中にも我等農民には土は尊き心身の糧であります。されば土肥えなば、体は豊かに一家一村も富栄へ一国の盛衰も又是に向かうものと信じます。然しながらこの尊い土を農民自身が余りにも粗末に取り扱って居たのでは無かったでしょうか、私の村も開村当初は戸数も六百に余り盛栄の村でありましたが、当時の肥沃なる地味に恵まれし農民と唯取るのみの農法には、さすがの土も何時かはやせ衰え、三千余町歩の耕地もスッカンポに覆われ、作物は元より農家も畜類も生気と希望を失い、将に滅亡に頻したのでありました。然し幸いにも、農林省産業計画樹立指定村とせられ、当時の道農会長佐藤先生はじめ多数の諸先生方の熱心懇篤なる御指導と熱精神の如き大和田技術員の日夜無く打ち鳴らされる警鐘に始めて村民は本来の使命に立ち返り新しき希望の輝き望むことが出来たのです。そして今日の村を更生せしむるは地力の回復が根本なりとしり是よりは上下一致酸土の矯正、堆厩肥の生産、生産緑肥の栽培にと努力せる事数年、今ではスッカンポの影も失せて人も草木も生気に満ち希望に輝きつゝ一歩一歩と更生の道を歩んでおります。

是は諸先生方のご指導による事は勿論であるけれ共、堆厩肥の力こそ偉大であります。私は此の堆肥生産の情況こそ一家一村の更生への過程を知る唯一の

進度計であると信じます。

経営組織の合理化栽培技術の改善、販売の統制等もとより研究怠るべきではありませんが、地力の回復こそ先決問題と信じます。

私は六年前はじめて堆肥生産の必要を感じ、又是によって我が村を更生せしむるのが自分の使命なりと信じ、其れよりは草刈に積み込みに寸暇を利用しましたが、何しろ田五町六反、畑一五町、牛馬十余頭、労働成人換算六人五分の経営では余りにも仕事が多く、その結果として堆肥の生産は夜間早朝の作業となり、家族の勤労風習がいっそう加わって参りました。

村民は皆眠りに付き静寂其のものゝ中に此の一鎌が村の為と月の明かりで草を刈る時、総ての雑念は消え去って何とも云われぬ心持がします。青く輝く月はさながら自分の為に夜の世界を照らしてくれるのであると天に対して感謝しつゝ。

緑肥も昭和六年よりべッチ茶小粒大豆を四町位宛栽培して居りますが、初の中は五寸位しか伸びませんでしたが、継続しておりましたので昨年は三尺から五尺位生育していました。然し播種するに当たり多くの労力を費しますので、七年から三年がかりで自動播種機を考案し、今では四町歩の播種を培土をかねて一人にて五日位で出来ますので安心して続けられると思って居ます。

然し本年の生育状況から見まして、前作物との関係を充分考慮せなければならぬ事を知りました。こうした経験による私の信念云ひましょうか、それは天の神は我等農民に無限の恵みを常に垂れ給うのであるという事であります。

心なく道ばたに生えている一本の草も皆神様が農民に下された尊い賜なりと信じております。この賜を神の御心に添う様大切に生かして行く可く努力して居れば天は何時までも、何時までも吾等を護って居て下さる事を深く信じます。冷害凶作も亦天の與へられる試練であり導きであると思ひ私は常に天に対し感謝と報恩の念を以って楽しく使命に進んで居ます。